군산시/Gunsan/群山 - 韓国旅行記(旅行というか週末の過ごし方)

TWS両国レジデンスに来ていたアーティストの撮影をお手伝いをしたのがきっかけで、この韓国旅行を企画しました。向島のように街の成り立ちや現在に変化の歴史がありその変化や歴史を資源として活用している(もしくは活用しようとしている)場所を見たい、とアーティストに伝えると生まれ故郷であるGunsanを案内してくれることになりました。

バスで片道3時間。週末だけの韓国旅行にしては、想定外の小旅行です。内容はとても濃いものとなりましたが。ひとまず数点写真をご覧ください。






写真からひしひしと伝わると思います。この既視感と違和感が波のようにやってくる感じ。私はどこを歩いているんだろうかと不思議な気持ちがこみ上げてきます。



1945年まで米の移出地として栄えた群山は1899年の開港までは小さな漁村だったとか。日本の植民地都市として近代化を迎えたということもあり、終戦後/解放後は「敵産家屋」/「負の遺産」として放置されてきました。しかし2009年の「近代産業遺産活用芸術創作ベルト化事業」という大きな流れの中、群山の「敵産家屋」/「負の遺産」を「文化や芸術の創作空間として活用し、地域文化振興と観光資源としての活用」が行われてきました。






「文化や芸術の創作空間」として機能していたかどうか、短い時間の中では見えませんでしたが、歴史に向き合うエリアとして(教育的な側面を持っていたかも?)韓国の人々に注目されているんだなということが感じられました。

「日本の帝国主義支配に苦しめられた」といった表現がいくつも見られる中を歩くのは、少しばかり心臓にくる体験でした。しかしながら、そうした表記が日本人を責めたてる目的ではないことは伝わります。苦しめられた経験がある、ということを残すこともまた、覚悟のいることです。「韓国社会において『植民地以降』を問う視点が多様になりつつあ」ると言います。今回案内してくれたアーティストJeawonも似たようなことを言っていました。歴史の捉え方が、今まさに変化している中に生きているんだと実感させられました。



考えることの多い小旅行でした。 ※以下、写真が数枚続きます。














内容については以下のテキストを参考にしました。
http://www.kwansei.ac.jp/s_sociology/attached/0000029180.PDF
http://www.mishima-kaiun.or.jp/assist/report_pdf/2010c/25_nh22.pdf

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