投稿

2月, 2012の投稿を表示しています

『メランコリア』

イメージ
体感として、身体感覚として、「快感」を覚えた。デューラーの銅版画。霊感をうけた彼女は周囲を欺くがそれは天才がゆえの選択に見える。世界の終わり。しかしその知性の努力をもって物質を超え精神の高さによって神の領域に迫る。ああ、ぜひもう一度と言わず二度三度と見たい。

アルブレヒト・デューラー「メランコリア」

『ドラゴン・・タトゥーの女』

イメージ
スウェーデン版の「ミレニアム」を見ていたので内容、つまり解くべき謎の詳細は知っていたからデヴィッド・フィンチャーがどう作ったのかを楽しみに見ていたのだけれども。作品がどうとかではなく。残念だ。非常に残念だ。セックスシーンにモザイクがかけられていた。配給会社が映倫の基準にあわせて入れたもの。おかげで無駄に卑猥さが増した。必要のない卑猥さ。あれの(せいにしてしまおう)おかげで、とても残念な映画だった。

モザイクについて

『エンディングノート』

イメージ
撮り続け編集し作品として公開に至る。つくる人の凄まじさにやられた。もちろん泣いて泣いて涙が止まらない作品でもあったが、それ以上にこの監督の「それしかない」という痛いまでの純粋さが愛おしかった。近寄りたく無いけれども話を聞いてみたい。でも、近寄るのが怖い。

砂田麻美

宝塚歌劇とロック・ミュージカルを見てきました。

http://kageki.hankyu.co.jp/oceans11/
宝塚歌劇 星組公演『オーシャンズ11』を見てきました。チケット取れなくて途方に暮れていたのですが、ナオさんありがとう。2001年公開のあの「オーシャンズ11」の舞台化。小池修一郎さん演出の舞台がもう一人の役者のように空間を立ち回り、キャストの美しさと存在感と有機的に絡まり、そしてお客を魅了します。theエンターテイメント。そして私は男役を「彼は〜」と言う。

バレてしまっていたけれど、私は夢咲ねねさんを目で追っていました。彼女の仕草、手の動き、目や表情、体全体で表現する娘役の女性性を。参考にしています。取り入れようとしています。なかなか難しいのは、それが舞台上での表現という前提があるから。パフォーマンスではない日常にいかに取り入れ、美しくあろうとするか。まだまだ精進が必要です。


http://www.parco-play.com/web/play/RHS/
PARCO Presents「RICHARD O'BRIEN'S ロッキー・ホラー・ショー」を宝塚の後、池袋サンシャイン劇場で見てきました。昨年のハロウィン、川崎クラブチッタで行われたイベントから、ちょっとファンになった私。強烈なまでのファンがいる本作品が、劇団☆新感線のいのうえひでのり演出のロック・ミュージカルとなって大暴れ。見ているこちらも(もちろんあのダンスで)大暴れ。

開演前に客席をまわっていた青いメイドの売り子が、開演と同時に歌い手となって舞台にあがる演出は、観客を舞台に関係させる仕組みです。参加を促すのではなく、半ば強制的に巻き込むスタイルは、やなぎみわ演劇プロジェクト 「1924 海戦」でも見られました。(この時は、入場時に舞台上を赤いエレベーターガールが案内するという演出。舞台に上がる事ができ、そこでは演者が台本を読み合わせています。劇中劇ならでは。)


観る以外で作品を体験させる仕組みはどこまで境目を消失させていくのでしょうね。楽しみで仕方がない!

『ヒミズ』

イメージ
『子どもをつくれ!』と私は映画館でつぶやいた。恐ろしいのが、異常に描かれた人物たちの行動ひとつ拾い上げても全て異常と感じなかったこと。それは震災後の日本においての現象としてではなくいつ頃からか…徐々に異常が異常ではなくなっている事を示していた。何一つ日常を壊してくれない。何も変わらない。そんなわけあるか。毎日が変化の繰り返しじゃないか。シンプルに考えろ。『子どもをつくれ!』

ヒミズ映画


痛い日記。

「痛み」は危険信号だという話をどこかで聞いた。頭痛や腹痛や腰背部痛。単に何か針が刺さってるとか寝違えただけだと見逃していたら、クモ膜下出血や常位胎盤早期剥離や感染性心内膜炎だった、なんて事もある。「痛み」は見逃せない。

「痛い痛い」とばかり言ってられない。我慢も必要な事がある。頭が痛いから会社を休みます。それくらいは我慢して仕事をしろ、それだけの責任がお前にはあるじゃないか。どうするんですか、私がクモ膜下出血だったら、だから休ませて下さい。なんて言い訳は通用しない。まあ、そもそもこの「痛み」は疼痛のメカニズムに当てはまらないかもしれないが。しかし関連痛という場合もある。見逃せない。

親知らずを抜く瞬間は痛い。その「痛み」を和らげるための麻酔を注射するその瞬間も痛い。「痛み」から逃げていると虫歯が進行し鋭い「痛み」が毎日続く。虫歯の「痛み」は見逃せない。「痛み」を取り除くために、私は親知らずを抜いた。

今日は2度目の抜歯。2週間前に右上の親知らずを抜いた。右上は優等生で、大した「痛み」を残すこと無くするりと抜けてくれた。机の上でガーゼにくるまれた優等生がこちらを向いている。どことなく愛らしい。ごめんね。私のわがままで放り出しちゃって。ところが左上のやつはとことん不良だった。

私が悪い。本当は。ネグレクトしてしまっていたのだ。小さな「痛み」を「耐えられる」と判断した私は、彼が少しずつ崩れていくのを気づきながら、放置していた。真っ白だった肌はどんどん黒くなり、形を変え、鋭く尖っては頬を傷つけた。もう我慢できない。彼との別れを決心したのは、ネグレクトをしていた私の方だった。なんて身勝手な決断だろう。いや、このままの状態でい続けては、お互いに良くない事はわかっている。心が痛む決断をし、私は彼との別れを医者に告げた。医者は、その面妖なメガネの後ろ側から、憐れみ深い眼差しを私に投げかけていた。いや、医者のそれは私にではない彼に対するものだっただろう。

麻酔が注射された。1つ、2つ、3つ。針が歯肉を差す。鋭い痛みが明確に場所を指す。彼のすぐそばを銀色の針が横切る。彼はどんな顔をしているだろう。たぶん、針に顔が写っていたかもしれない。痛い。しかし、この「痛み」はすぐ消えた。麻酔が効いている。

私の顔からタオルを取り、医者は「ゆすいでください」と言った。私は起き上がり紙コップを手に…